注意されているうちが花、言われなくなった見捨てられたってこと

 文句を言われたり、注意をされると、誰でもいやですよね。しかし、「この文句や注意があるから、自分は足りないところを直してさらに成長できる、有難いな」って思えることが、本当は大切なんですね。

 それに、言われるほうがいやなのは当然ですが、言うほうはもっといやなのです。このことをはっきりと認識しないといけないと思います。「文句や注意を言わせてしまって、相手に申し訳ない」って気持ちが大切だと思います。言われる側がしっかりしていれば、本来なら言わなくて済むにもかかわらず、そうではないから、仕方なく文句や注意を言うことになるのです。

 人間は、自分で自分の姿を見ることが出来ませんから、他の人に言ってもらわないと、自分の過ちには気づきません。言われなくなったらおしまいです。言われているうちが花です。菅原も立場上、注意をする側にまわりがちで、さらに年齢を重ねると、だんだんと言われない側になっていきますが、これはとても怖いことだと、自分をいつもいましめています。

 今朝のニュースでは、弁護士出身の国会議員が、法律で禁止されている名義貸しを行っていたことが明るみになったと報道されていました。国会議員になると、自分は偉くなったのだと錯覚をして、だれにも言ってもらえなくなり、自分の過ちに気が付かなくなるのでしょうね。これは本来人間が持っている哀れな性なので、次から次へと国会議員の不正がでてきます(これからも限りなく出てくるでしょうね)。「過去に学べ」といわれますが、どうしてこれほど過去に学ばないのだろうと不思議なくらいです。
 
 言われなくなったら、見捨てられたってことです。