賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

 人は年齢を重ねると、それだけ多くの経験を積みます。そして、それらの経験から何がしかの教訓を得て、自分なりの判断基準を形成していきます。何か新しいことにぶつかった時には、意識するしないにかかわらず、過去の経験に照らし合わせて物事を判断するというのが一般的でしょう。「以前こうやって成功したから、今度もこうすればうまくいくに違いない」、「かつてこうやって失敗したから、今度はこうすれば成功するだろう」などと考えて行動します。また他の人の成功談や失敗談を聞いて、自分の行動を決めることも多々あります。これは一見、合理的であり、当たり前のように思えますが、実は必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。
 経験から得られた教訓は、過去の限られた期間における、限られた状況の中でのみ成り立つことなのです。前提条件が異なれば、その教訓は必ずしも成り立つとはいえないのです。ですから、自分の経験から物事を判断している人は、その人の理解を超えるようなことや、判断基準を超えるようなことにぶつかった時には、どうしても否定的態度をとりがちになります。
 「私の経験からすると、これこれこうなんですよ」と、したり顔で話をしている人を見かけることもありますが、こういう類の話は要注意です。その時とは状況が変わってしまった今、はたして同じことが言えるのかどうか。特に変化の激しい今日では、過去の教訓が役立たなくなる速度も速いのです。過去の常識は、今日の非常識ともなります。経験にのみ学ぶ人は、自ら可能性を狭めているといえるでしょう。経験に学ばず、新しいことに挑戦することは大切なことです。
 では歴史に学ぶとはどういうことでしょうか。もちろん、重要な出来事のあった年号を丸暗記するなどということではありません。日本語表記されたおかしな外国の地名や人名を暗記することでもありません。歴史とは多くの人々が試行錯誤してきた長い時の流れであり、歴史に学ぶとは、その試行錯誤から得られた人類の叡智を学ぶことです。様々な状況においても成り立ってきた教訓を学ぶことです。
 本物だけが長い時間の淘汰を経て生き残り、今日に伝わっているのです。ですから古典を学ぶことは大切です。私たちの時間には限りがあります。その貴重な時間を、くだらない本の読書に浪費してはいられません。年間6万点以上(つまり毎日約160冊)出版されるという書物の大部分はジャンクブック(ジャンクフードからの造語で、内容がない本のことを菅原がこう呼んだ)で、これらに時間とお金をいくら費やしても成果は得られません。


 「賢者は学びたがるが、愚者は教えたがる。」