雪が降らないんだけど、どうなってんの

 札幌の冬を恐れていましたが、年が明けてから、ずーっと穏やかな天気の日が続いています。昨日は雪が降りましたが、今日はまた青空が出ています。昨年の暮れに多くの人から「北海道の冬をなめてはいけない」「吹雪で1メートル先が見えなくなる」「外を歩いていると顔が凍りつく」などと散々脅かされてきましたので、いざ冬本番となると、なんだこりゃって感じです。
 一日のうちに少しは雪が降ることはあっても、また青空が見えます。さわやかで気分の良い日が続いています。慣れない冬を恐れていた菅原にとっては快適ですが、こんなに雪が少ないと、いたるところで支障が出てきます。除雪を冬の仕事としている人たちにとっては、仕事が少なくて大変でしょう。スキー場も、雪不足です。札幌の名物雪祭りも雪が少なくて、ずいぶんと遠いところから雪を運んでいるそうです。
 雪が多ければ多いで困るし、少なければ少ないで困るわけです。何事にも、ほどほどという線があります。「琴の糸は張りすぎても、たるみすぎても良い音がでない」といわれますように、ちょうど良い張り具合があります。雪にも程よい降り具合があるんでしょうね。これが中庸です。
 私たちの人生にも、中庸が大切です。張りすぎず、たるみすぎず、いつもコンスタントに。一所懸命、会社人間で過ごして、定年を迎えると、一気に張り詰めていた糸が緩んで、目標を失ったもぬけの殻になる人が結構いると聞きます。仕事だけをいくら一所懸命やっても幸せにはなれません。仕事だけに人生の価値を置くような生き方をしていると、寂しい晩年になると思います(だんだん会社人間は減りつつあるかもしれませんが)。働きすぎても、働かなさ過ぎても、駄目なんです。何事もほどほどが大切。
 ただし、若者にはある一時期、徹底的に修練を重ねて、自分の限界にいどむ時期は必要です(がんばり時には、数日徹夜するぐらいがいいのさ)。この時ばかりは、ほどほどにでは、せっかくの成長の可能性を自らつぶしてしまいます。若者に限界はなく、あるとすれば自分で作り出しているのです。