W杯の情けない敗退から何を学ぶか

 日本のW杯がショボンって終わりました。 いろんな人が、ああだこうだと言っていましたが、つまらない意味のないコメントがほとんどでしたね。唯一まっとうなコメントだなと思ったのは、ジーコ監督の次のようなものです。
 「日本の教育ではシュートを打って失敗したことが悪い評価をされる。だから打てるのに打たないで、その責任から逃げる。」これに続いて、ある大学教授は「日本では間違いをする権利が認められていない。完璧を求められ続けている。教室で子どもたちが発言しないのも間違えると馬鹿にされるから。試合を見ても、失敗してもいいから、というシュートがなかった」と述べて、日本の失敗を許さない教育と国民性を指摘していました(北海道新聞6月24日朝刊)。
 日本を代表する選手たちにすら、この「失敗=悪」信奉がすり込まれていたとは驚きでした。ジーコ監督が4年間を費やしても、この悪しき信奉を取り除くことが出来なかった。それほど深く深く日本人の間に巣食っているのでしょう。
 これは致命的です。変化が激しくて、正解のない時代には、試行錯誤を繰り返して、道なき道を進むしかありません。そのような現代にあって、失敗がいやだから何もしない、っては、最悪の選択肢です。「失敗=善」。怒られたって、笑われたって、気にしない、気にしない。
 水を飲まずに水泳が上手になった人はいないのだ。転ばずにスキーが上手になった人はいないのだ。空振りをせずに野球が上手になった人はいないのだ。