心が汚れてくると必ず人生を間違う

 日本銀行の総裁が、いま世間を騒がせているファンドに1千万円を投資して、6年間で倍以上になったそうですね。法律上は何の問題もないかもしれませんが、我々一般庶民が、まったく利息のつかないゼロ金利を強いられ苦しんでいる中で、総裁はたったの6年間で倍以上にするのですから、普通の感覚では、納得がいかないですよね。

 多くの人は初めのころは志があって、理想の実現に向かって努力するのでしょう。しかし、功を成すにしたがって、おかしなことをやってしまう人が、いつの世にも後を立たないのはなぜでしょう。年がら年中、新聞には汚職や不正の記事だらけです。

 人は体が汚れると、自分でも気持ち悪いし、他の人からも分かるので、毎日体の汚れは落とします。歯を磨かないと気持ち悪いし、顔を洗わないと気持ち悪いから、最低でも1日1回はきれいにしますよね。

 ところが、心の汚れはどうでしょう?大抵の人は、日々の生活の中で、怒りの心、むさぼりの心、ねたみの心などが起きて、自分で自分の心を汚しています。この心の汚れは、他の人に見られても、どのくらい汚れているかが分からない(つまり顔が汚れていれば恥ずかしいけれども、心が汚れていても恥ずかしくないのだ)し、自分でも気づかなかったり、気づいていても忘れてしまいます。

 こうやって知らず知らずのうちに心が汚れていくのだと思います。50年、60年、70年と生きていると、そうとう黒くなっていると思います。生まれてきたばかりのときは、みんな真っ白な心です。真っ白に、ちょっとでも汚れがつくと、すぐに分かります。だんだんと汚れてくると、少しぐらい汚れがついても、目立たなくなります。そして、最後に真っ黒になると、どんな汚れがついても、まったく分からなくなります。

 心が汚れてくると、白い心では気づけたことに気づけなくなり、どうしても正しい判断や行動が出来なくなるのでしょう。恐ろしいことです。若い女性は恥じらいがあってかわいらしい感じがしますが、おばちゃんになると、どうしてああもずうずうしくなるのでしょうか?やっぱり何十年も生きていくと、心がかなりくすんでしまうのではないでしょうか(これだけが原因じゃないけどね)。

 体の汚れを毎日洗うのと同じように、心の汚れを毎日きれいにしていかないと、年月を経て汚れがこびりついてしまうのは当然でしょう。いつも、いつも、心をきれいに、心をきれいに、って言い聞かせて自分に厳しくしていこうと思います。