真夏の逃走作戦

 真夏の逃走作戦を決行して暑い東京を脱出している同僚や卒業生の方々からair mailやemailを受け取り、とても嬉しく思います。外国にいてまで菅原のことを思い出してくれることに深く感謝いたします。みなさん、東京の忙しい(=心が亡ぶ)日常から離れて、自分を見つめなおして原点に返ったり、これからの新しい一歩について考えたりしていると思います。菅原も、もちろん、ひっそり、こっそり逃走して、次の作戦を練っています。
 自分を違う環境に置くということは、とても素晴らしく、大切で必要なことだと思います。「異質なものとの こそが新たな創造をうむ」のですから、小さな世界にいないで、どんどん外国に行くべきです。いままで、10年以上こう言い続けてきたので、反論・疑問も多く寄せられましたが、それらは次の2つに集約されます。
 一つ目は、「自分は日本のことすら知らないのだから、まず国内を旅して日本のことを知ってから、それから外国に行く」という反論。一見理にかなっていそうな話ですが、こんなことしてたら、ずーっと日本のことも分かりません。外から眺めて初めて分かるということはたくさんあります。外から距離を置いて見るということは何事にも不可欠です。
 二つ目は、「貧乏学生だから、行きたくてもお金がない」という言い訳。これもナンセンス。何かをするのに、条件が完全に整うなんてことはまずありません。「お金がないから行けない」と考える人と、「お金がないけど、どうしたら行けるんだろう」と考える人の差は大きいですね。菅原も学生時代金がなかったですが、とにかくアメリカに行きたいという思いで、実現させました。「Where there is a will, there is a way.(意思のあるところに道はつく)」です。
当時の為替レートは1ドル240円で、現在の約2倍。つまり、同じ旅行をするのでも、今の倍ぐらいのお金が必要なのです。今なら5、6万円で手に入る成田・LA(ロスっていう和製の略語はかっこ悪いから使わないでね。アメリカじゃ通じないよ)の往復チケットも、その頃は20万円でした(もちろんローンで買ったよ)。そして現金20万くらいをトラベルローンで調達して、あとはバイトで稼いで、たしか50万円くらい使って、40日間滞在しました。
なんでも最初ってのが一番印象的で、驚きと感動の連続でした。サンフランシスコで見上げた、降ってくるような星空の美しさは、今もはっきりと焼きついています。あのときに知り合ったアラブ人やギリシャ人、ホームステイ先のアビィっていう子どもはどうしてるんだろうと思います。
まあとにかく、ヒートアイランド化が進む東京で、脳みそに無用な汗をかいているよりは、どんどん脱出して、「井の中の蛙(かわず)」から「世界の蛙」に変身しましょう。そこには、金では買えないものがたくさん待ってるよ。ワクワク。(総文字数:1276字)