「教育」は間違いで「共育」が正しい

 「教育」という言葉は、嫌いです。教育とは文字通り解釈すれば「教えて、育てる」ことですが、なんて思い上がった言葉でしょうか。「教えることは学ぶこと」ですから、教える側も学ばせてもらっているのであり、先生が学生・生徒に一方的に何かを教えるということはあり得ません。ですから、共に学んで、共に育つ、「共育」が正しいと思います。学ぶ姿勢のない教師は、謙虚さに欠け、新しい時代の変化についていけず、すぐさま化石となります。

 先生が偉いわけがありません。単に、「先に生まれた」だけです。先に生まれているんですから、あとで生まれてきた人たちよりも、そりゃ多少余計に物事を知っていても当然でしょう。だからといって、偉いということとは関係ありませんよね。むしろ、先に生まれている分だけ、頭は固くなって老化しているのです。

 自分は偉いんだと錯覚し、上から下に知識を一方的に伝授するのが教師の役割だと思っている人は、かなり多いと思います。特に地方の学校の先生は、井の中の蛙になってしまって、鼻が高い人を見かけます。どこへいっても先生、先生と呼ばれていると、いつしか錯覚してしまうのでしょう。誰を師とするかはとても大切なことです。自分を偉いと錯覚している人を、自分の先生としないようにしましょう。良き師につかないと伸びる才能も伸びません。(文字数:566字)