より大なる価値は何か

 初めてロンドンの駅で見た掲示は、とても不思議に思えたので、今もはっきりと覚えています。「先月の定時運行率(punctuality)は、80何パーセント」というポスターが貼ってあったのです。日本人の感覚からすると、電車はほぼ100%時間通りに来て当たり前。遅れるなんてことは考えられません。いったいこのポスターは何を意味しているのだろうか。すぐには理解できませんでした。
 しかし、実際に英国に住んでみると、電車が遅れるのは当たり前で、少しずつ遅れていって、最後のほうの電車はそのまま運休になることもあることが分かったのです。これでは、乗り換えてどこかに行こうとしているときなど、予定している電車に乗り継げなくて困ることもあるのです。これを知ったとき、ああこんないい加減な国だから、経済が衰退したのも当然だ、と思いました。他方、正確で効率的な日本の鉄道システムは、なんと優れているのだろう、これが効率的な日本の社会を作り出し、経済成長の駆動力になっているのだなと、日本人の正確さを誇りに思いました。
 ところが、過度な正確性、効率性の追求が、いつしか最も大切な安全性の確保をどこかに置き去りにしてしまっていたのでした。JR西日本で起きた惨事では、犠牲者の方々の無念さ、ご遺族の計り知れない悲しみを思うとき、言葉を失います。「1分くらい遅れたって、永遠に着かないよりはるかにましである」という当たり前のことが考えられなくなっていたのでしょう。正確性、効率性はもちろん大切ですが、それ以上に、安全性が重要なことは誰でもわかることです。
 とっさの時にあって、優先順位をつけて何が最も大切なのかを判断し、最も優先するもののために、他を思い切って捨てることが出来る決断力こそが、大切なのでしょう。そのためには、まず本人が日頃から常に意識して行動することはもちろん大切ですが、加えて周りの社会や組織が、そのような決断を尊ぶ姿勢をもっていなければなりません。
 私は幼い頃から、親父に耳にたこが出来るくらい言われ続けてきたことがあります。男は判断力が最も大切だ。何かを決断する時は、目先ではなく先を見て「より大なる価値は何か」と、いつも自分に問いかけて決めることだ。(文字数:929字)