一生の3年8ヶ月を電車の中で暮らす東京のビジネス・パーソン

 東京での暮らしを意図的にやめて、自然のある(自然しかない)秩父に引っ越してきましたが、仕事上たまには都心に行かなければなりません。いつも電車の中は、スーツを着たビジネス・パーソン達で一杯。私には、みな同じような黒い集団に見えてしまうのです。特に夜は、疲れきった人たちの姿を多く目にします。日本の経済は、彼・彼女らが支えてくれているのですが、東京での会社勤めは、とても非人間的な生活を強いられるように思えます。

 一日の通勤時間が片道1時間とすると、その人は、一生のうちの約1万5500時間を電車の中で過ごすことになります(大学を卒業してから65歳で定年退職するという仮定で)。これは、1年8ヶ月に相当します。片道1時間半なら、約2年8ヶ月、片道2時間なら約3年8ヶ月を、電車の中で暮らしている計算になります。これはものすごい、人生の無駄に思えてしまいます。3年8ヶ月も電車の中なんて、明らかに異常ではないでしょうか。そして、極めつけは、こうやって働いても、老後には年金はもらえないのです(まもなく年金制度はどう考えても破綻しますよね。現在のシニアはその頃いないから、いまは改革先送りですみますが)。

 電車の中で果敢にパソコンで仕事をしようと努力している方も見かけますが、大抵の人は寝ている、ボートっとしている、携帯でゲームかメールのいずれかです。私もいろいろなことにチャレンジしましたが、特に帰りはとてもエネルギーがなくてたいしたことは出来ません。

 サラリーマンという人たちがこの世に現れたのは、人類の長い歴史で、たかだか50年。公家や武士と呼ばれる人たちがこの世からいなくなったように、何百年後かの歴史の教科書には、西暦2000年前後の100年間ほどは、サラリーマンと呼ばれる人たちの全盛期であったという記述になるかもしれません。

 既成概念を捨てましょう。世界を舞台に活躍している人たちがたくさんいます。人間なんて、ほとんど大差なく、たいして頭はよくありません。人生たったの80年、やるか、やらないか、それだけが違いではないでしょうか。