小さくかがんで、大きくジャンプ

ふと気づいてみると、郷里の小樽を出て、3月10日で25年。親元を離れる決意をして、雪の降る中を、生まれて初めて飛行機に乗って東京へと向かったことを鮮明に思い出します。もう25年。3月10日を「菅原秀幸出発の日」と名づけて、これから毎年、「初心に帰る日」にしようと思います。

18歳で東京に出てきて、2年間の浪人生活をへてやっと大学生。しかし、くだらない講義に失望して、ほとんど大学へは行かなくなりました。そうしているうちに、2年生の終わり頃、原因不明の難病にかかり、来る日も来る日も病院のベッドの上で過ごすはめに。なんで俺だけがこんな目にあうのだと、わが身の悲運を嘆きました。そして1年間留年して5年間かかって、優を8コとってやっと卒業。その後ラッキーにも大学院修士課程に合格。良き師に出会い学問の面白さを少しずつ知りました。そこで博士課程への進学を決意。しかし結果は不合格。失意の中、研修生として野に伏せること1年。再度の挑戦でやっと合格させてもらいました。そして3年間の博士課程を修めて、31歳にして、早稲田に11年間にわたって授業料を払い続ける生活とおさらば。やっと杏林大学に職を得ました。

もう一度、あの11年間をやれといわれたら、まっぴらごめんですが、たくさんの負けや失敗を経験したおかげで今の自分があることを思います。途中、友人たちが社会に出て活躍する姿を見て、自分が情けなくなる時もありました。先に社会に出た妹から、こずかいをもらうこともありました。迷いの連続。つまずいては、またなんとか立ち上がるという日々。多くの方々に助けてもらい、支えてもらって、なんとかやってこれました。生かされる感謝を決して忘れてはいけないと心新たにします。「感謝は悟りを得る始め」といわれますように、すべての基本は感謝にあり。「不平、不満は迷いとぞ知れ。」

大きく飛躍するためには、小さくかがまなければなりません。失敗や苦労こそが成長の糧。何もせず、それゆえに失敗もしないという人生よりは、どんどん挑戦して、どんどん失敗して、たくさん涙を流し、たくさん汗を流し、さらに挑戦し続けるという人生を送りたいと思います。どう生きたって、一度限りの人生だから。