良い手本を見つけて、真似て、学んで、越えていこう

2泊3日のゼミ合宿を沖縄で行い、昨日戻りました。3年に一度のサイクルで沖縄で行っており、今回も多くのことを学びました。その中でも、最も考えさせられたこと一つをご紹介しましょう。
沖縄の学生との懇親会の際に、一人の学生が次のように話してくれました。「沖縄の若者は受身です。それは、沖縄の大人はいいかげんに生きているので、大人に手本となる人がいないからです」と。

若者にこんなふうに言われた大人は本当に情けなく、若者に申し訳ない気持ちで一杯になりますよね。その後で考えてみると、何もこれは沖縄に限ったことではなくて、沖縄を日本と入れ替えてみてもそっくりあてはまるのではないだろうかと気づきました。「日本の若者は受身。それは大人に手本となる人がいないから」と。次から次へと大人の不祥事が続きます。ほんのこの一週間ぐらいの間でも、政治家や実業家が逮捕されています。「手本になる大人がいない」これは致命的です。

成長のステップとは、「真似て、学んで、越えていく」。この中で、真似る手本が一流でなければ、決して伸びません。習字はほとんどの日本人が小学生の頃に習うと思いますが、お手本が下手なら、いくらそれを真似ても上手くはならないでしょう。良い手本は不可欠であり、その真似をするというのが、成長のための最初の一歩です。人生における良いコーチは必須です。

いまから思うと、自分が大学生の時に手本とした人たちはみんな三流だったので、ずいぶんと時間とエネルギーを無駄に使ったように思います。「早稲田は中退しないと大物になれない」などというくだらない話も本気で信じていました。原因はもちろん、見抜く力のなかった自分の未熟さにあります。良いお手本がいかに大切か、良いコーチがいかに大切か。自分は失敗を通して痛切に思います。オリンピック選手には必ず良いコーチがついていますからね(参照→http://d.hatena.ne.jp/Seattle/20050207)。成長期に悪い手本に出会ってしまうと、ほんとうに人生を無駄にしてしまうなと実感します。幸運にも自分は、その後26歳のときに、手本とすべき超一流の人生の師にめぐり合うことが出来ましたから、その後の人生では迷うことなく努力を重ねることが出来ました。しかし、その出会いがなければ良い手本を真似することも出来ずに、さまようことになり、いまの自分はないなと思います。

良い手本とはなれないまでも、せめて悪影響を及ぼす悪い手本にはなるまいと、毎日小さな努力を重ねています。「手本になる大人がいない」という状況は、本当に若者に申し訳ないと思います。