やっぱり読書は楽しい−楽しく役立つ本は、10冊のうち2冊

 最近の若者は本を読まなくなったという嘆きを、耳にすることがあります。それは若者に問題があるというよりは、つまらない本が多すぎるからのように思います。人は誰でも楽しいことをするのは当然。くだらない本よりも、他に楽しいものがあれば、そちらに関心がいくのは当たり前です。
 私は小学生のころから読書が好きではなく、以来ずーっと図書館は退屈な場所というイメージをもってきました。これは不幸なことでした。優れた本に出会うという経験がなかったからです。優れた本は面白いのです。本が面白くないのは、読者のせいではなく、著者のせいなのです。難しいことを難しく書いたり、何を言いたいのか分からなかったり、どこかからの引用を自分の考えのように書いている本は、山のようにあります(これをジャンクブックと呼びます)。こんな本にばかり引っかかっていると、読書はつまらないという誤った先入観をもってしまいます。

 「何か良い本はないですか」という漠然とした質問を受けることがあって困ります。レベル、関心、目的が個人によって違うので、みんなにとって良い本というのはないのです。結局は、自分で本を見抜く目を鍛えるしかありません。その見抜き方の基本的考え方を、以下でご紹介しましょう。私には、素晴らしい絵画を見抜く目や、素晴らしい音楽を聞き分ける耳はあしませんが、本なら大体分かります。

 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という諺があります。自分の経験には限りがあるので、経験だけに基づいて物事を判断していると、誤ってしまうことがあります。とくに今日のように変化の激しい時代には、自分の限られた経験はすぐに役立たなくなってしまいます。そこで歴史に学ぶ必要が出てくるのです。つまり、他の多くの人たちの経験を通して、そこから得られた共通の教訓をしることが大切になってきます。歴史は人間の英知の結集ともいえるでしょう。この歴史とは、理論と言い換えることもできます。理論とは、多くの場合に通用する法則です。つまり歴史や理論を学ぶことは、私たちが何かを判断する際にとても役立つのです。(参考→http://d.hatena.ne.jp/Seattle/20050202
私の座右の銘のひとつ「理論と実践は密接不可分である」とは、理論だけでも、実践だけでも不十分で、両者は車の両輪のように、どちらが欠けても、うまく前進できないということです。「実践なき理論は机上の空論であるが、理論なき実践は無謀な冒険である」、ということです。歴史と理論を学ぶためには、読書は不可欠なのです。

 とはいえ、私たちの時間にも、お金にも限りがあります。年間の出版点数が約6万点(つまり平均すると毎日165点が出版されているのです)にもおよんでいますので、その中から自分に役立つ本を見つけ出すのは至難の業です。6万点の大部分はジャンクブックです。つまり、読むに値しない本、読まないほうが良い本です。ジャンクブックに、希少な時間とお金を費やしている余裕はありません。そこで、玉石混交の本の山から、自分にとって有益な本をいかに見つけ出すかが重要となるのです。
そのための確立されたテクニックは存在しませんので、自分で試行錯誤しながら、自分なりのテクニックを身に着けていくしかありません。

 本は、だいたい10冊を手にとってみて、そのうち2冊ぐらいが、役立つ面白い本です(これは、20対80の法則という経験則から導き出されます)。ですから、ちょっと目を通してつまらないと思ったら、どんどん次の本に移っていきます。ここで、いかにその本を的確に吟味できるかが、重要なところです。これは経験によって上達していきます。基本的な認識としては、10冊中8冊は取るに足らない本だということで、自分にとっての素晴らしい本を根気よく見つけ出す努力が必要です。ここで注意しなければならないことは、他の人にとって素晴らしい本でも、自分にとってはそうではないかもしれないということです。また、他の人にとってはたいした本ではなくても、自分にとっては素晴らしい本であることもあります。自分にとっての2冊と、他の人の2冊は違うのですから、やはり自分で見つけ出すしかありません。

 すでにお話しましたように、10冊中8冊はつまらない本、あるいはつまらないと感じられる本です。この種の本には、3種類あります。これを見分けることは、とても大切です。    
 第一は、内容が間違っている本や、すでに内容が古くなってしまっている本、あるいは読者の立場に立って書かれていない本です(このような本はかなりあります)。本を手にとってつまらない、あるいは難しいと感じることはよくあることです。このようなときに、自分は頭が悪いから分からないのだと考えがちですが(私はそうでした)、実はそうではない場合が多いのです。決して自分を責めないでください。書き手の能力が低いために、読んで分からない、つまらないという本は、かなり多いのです。
つまらない、わからないと感じる本を、最後までがんばって読もうとして貴重な時間を無駄にしないで下さい。躊躇なく途中で読むのをやめましょう。難しいことを難しく書いてある本は、たくさんあるのです。それを理解できないのは、読み手が悪いのではなく、書き手に問題があるのですから、そんな本にひっかかってないで、どんどん次へ行きましょう。難しいことを分かりやすく書いてある本に必ず出会えるはずです。もちろん、こういう本は数少ないので、根気よく探す必要があります。

 第二は、すでに自分の知っていることが書かれている、あるいは自分の関心と合致していないので、つまらないと感じる本です。多くの人が、表現は違っていても、ほとんど同じようなことを書いている場合もかなりあります。特にHow toものには、この手のものが多いようです。

 第三は、自分の知的レベルが、まだそこには達していないので、その時点では理解できないために、つまらない、あるいは難しいと感じる本です。これは古典や名著と呼ばれるものの中に多いようです。私は、小学校の6年生のときに「星の王子様」をプレゼントしてもらって、これは名著だからということで、つまらないながらも必死で最後まで読みました。しかし読み終わって感動することもなく、よく分からなかったので、自分は読書力がないのだろうなと、自分の能力に引け目を感じたことを今でも記憶しています。しかし、大学生になって読み返してみると、実に良く分かって大いに感動したこのです。この本は子供向けというよりは、大人向けの本だったのです。この手の本は、大切にとっておいて別なときに読むと、その価値が分かるでしょう。

 大多数の本は、上記の分類の第一か第二に属する本なので、ほとんどが数ヶ月以内に書店から姿を消します。このような本に、貴重な時間とお金を費やすことは実にもったいないことです。「読書百辺、意おのずから通ず」が当てはまるのは名著の場合だけであり、ジャンクブックには当てはまりません。ジャンクブックは、いくら読んでも分かりません。それは、読者の理解力がないのではなく、書き手の能力が低いのです。どうも私たちは活字信奉が強く、活字になったものは疑いもなく信じてしまいがちです。しかし、ちまたにあふれるジャンクブックは、内容が間違っていることもよくあるのです。

 読んで理解できない、あるいはつまらないと感じるのは、あなたのせいではなく、本に問題があるのです。