無表情、無反応な大人になる前に世界に出よう

 今日は小学校一年生の息子の授業参観がありました。どの子も元気はつらつ、次から次へと手を上げます。これだけ反応が良いと先生もさぞやりがいがあることでしょう。かたや大学の講義はどうかというと、なにを問いかけても、ほとんど無反応、無表情。砂漠に水をまいているような感覚におそわれることもしばしば。
 この元気の良いピカピカの一年生たちも、あと12年の間に日本の社会の中で型にはめられて、大学生になる頃には、まったく反応の無い学生になってしまうのかなと考えてしまいます。どうしてこうも日本人は無表情、無反応なんでしょうね。たまにとっても気味が悪くなります。小学校1年生のもっている自己表現のエネルギーを、いったい何が奪うのでしょうか。
 日本人は世界的に見てもかなり素晴らしい民族だと思いますが、この無表情、無反応はグローバルな世界では最大の弱点の一つで、とっても気味が悪くうつります。日本では、「出るクイは打たれる」といわれるように、人の目に付いてはいけないので、とにかく全体の中に埋もれて自分をなくす事が求められます。逆に日本を出た世界では、「出ないクイは、そのまま地面に打ち込まれる」といわれるように、自分を主張しなければ相手にされません。
 「子供は親の鏡」と言われます。つまり、若者が無表情、無反応なのは大人の姿を映し出しているのだと思います。東京の通勤電車では、みーんな同じどぶねずみ色のスーツを着て、ひたすら無表情でじーっと我慢しているような多くの大人の姿を見かけます。これが日本の大人社会の縮図。このような日本の社会は変わらないでしょうね。
 だから、エネルギーを吸い取られて無表情、無反応になってしまう前に、たくさんの若者が世界に出ていって、東京の通勤電車の世界がいかに奇異かに気付いて欲しいと思います。あの世界をなんとも思わなくなったら、もう手遅れだからね。