桜咲く東京で、新たな出発を祝福して

 昨晩は、新宿歌舞伎町で、菅原ゼミ平成18年度卒業生の追い出しコンパがありました。2年生の秋学期から今日まで、2年半の付き合いでした。決して短い期間ではなく、色々なことを共に経験してきましたが、過ぎ去ってしまえば、あっという間です。初めて会った入ゼミ試験の時の事が思い出され、まだまだ未熟だった顔が浮かんできます。
 ところが今では、みんな顔つきが違って大きく成長したことが分かり、とても嬉しく思います。二流の師についたならば、弟子もせいぜい二流どまりであるということを、肝に銘じ、一流の師になろうと努力を重ねてきました。しかし、振り返ると己の至らなさ、未熟さを痛感し、申し訳なく思います。「才能、努力、一流の師」という3つの条件が揃わないと、可能性を最大限に開花させることは出来ません。
 すべての人は必ず、それぞれの分野で才能をもっています。もちろんみんな努力します。あとは、それぞれ自分の進む道で一流の師につけるかどうかです。志を高くもち、世界に目を向け、他の人の役に立つことができる人になれるように、小さな一歩を積み重ねていってもらいたいと思います。どんなことも、日々の小さな一歩の積み重ねの結果です。
 「今蒔きて今日に収穫あらねども、努力重ねて稔り待つべし」菅原が、超一流と尊敬する人生の師匠の言葉です。

 

 久々に行った歌舞伎町は、やはり「さわやか」の正反対で「どろーん、べとー」っていう不潔感で満ち満ちていました。この地で、刹那の快楽に酔いしれ、虚しく時を過ごす大勢の若者たちの姿をみると「もったいない」って思いで一杯になります。とはいえ、かつて自分の姿もそこにあった時のことを思うと、後になって後悔するのが人間の常であるとも思います。
 人は生まれながらにして何一つ平等なものはありません。貧富の差は初めからあります。唯一すべての人にとって平等なのは、一日が24時間であるということ。これだけは、金持ちにも貧乏人にも同じです。ですから、この24時間をいかに使うかが、やがて決定的に大きな差となります。この貴重な時間を、煩悩に支配され、快楽を追い求めることに使っていては、せっかくもっている無限の可能性を閉じてしまうことになります。
 ハスの花が、泥の中から芽を伸ばしてきて、水面にきれいな花を咲かせるように、この歌舞伎町の泥の中から、一人でも多くの若者が芽を出して、大きな可能性を拓かれますように。小さなところに留まっているのではなく、世界は広い、世界に挑戦しよう。