常識の石頭をぶっ壊そう

 菅原が高校生の頃は、水やお茶はタダであり、お金を出して買うなんて事は考えられませんでした。でも、今じゃ当たり前。そして、ついに空気も買うようになりつつありますね。セブンイレブンが、酸素缶を販売し始めて、これもまもなく当たり前になるのでしょう。水の次にくるのは、当然、空気でしょうね。地名の入った「どこどこの水」ってのが高く売られていますが、まもなく「アルプスの空気」とか「羊蹄山の空気」なんてのが、売られるようになるに違いない。こうやって、非常識が常識になっていく、それが人類の歩みなんだよね。

 10年ぐらい前に、後輩が大学院の入学試験の前にスポーツ用品店で酸素の缶を買って、それを吸っていました。こうすると頭の回転が速くなると言っていましたが、なんて馬鹿なことをと思っていました。いまでは、彼の先見の明に敬意を表します。彼は、時代より10年も早かったのだ。
 
 日本人なら誰でも知っている福沢諭吉の『学問のすすめ』には、第十五編「事物を疑って取捨を断ずる事」とあります。つまりなんでも疑って、そこから自分の頭でよく考えて、本当に正しいのかどうかを判断せよ、といっています。いまではアダム・スミスガリレオの説を、当然のこととして誰も疑いませんが、はじめに唱えられた時は、「異端妄説」として、さんざん叩かれました。

 かつての異端妄説、非常識が、いまの常識になっているのです。そして、きょうの常識は明日の非常識になるのでしょう。すべては疑ってかかる。そして、異端を恐れない。そして、非常識を常識にしていくところに、社会の進歩はあるのだ。