与えられるのを待つか、自分で獲るか

 今朝起きると、我が家で飼っているタヌキ猫のブルークが、玄関の外におとなしく座って、ひたすら誰かが玄関を開けるのをじーっと待っていました。何を待っていたかというと、もちろん、朝食です。ブルークのその姿をみると、いつも思います。「猫に魚一匹を与えると、その日一日は飢えない。されど、魚の獲り方を教えると一生飢えない」

 ブルークは、生まれてからずーっと飼われてきたので、魚の獲り方を教わることなく、毎日魚を与えてもらうことだけで今日まで過ごしてきました。だから、もう自分の力では生きていけないのです。

 人間も同じです。親から、先生から、企業から、国から与えられ続けてきた人、与えられるのを当たり前と思ってひたすら待ってきた人、赤ん坊の鳥のように親鳥がえさを運んできてくれるのを待って、ピーピー口をあけて鳴いているような人、こういう人たちは、もはや自分で魚を獲ることはできません。

 日本の政府は財政破綻しているので、もう何も与えてくれません。今の日本を例えると、もうすでに700万円以上の借金を抱えながらも、30万円の月給の人が、毎月20万円ずつ借金して、月50万円を使って、羽振り良く暮らしているという状況です。ぞーっとしますよね。こういう人に何かを期待して待っていても、もう何にもくれないんじゃないでしょうか。

 企業が過酷な競争に打ち勝って、業績を向上させるということは、限りなく正社員を減らすということです。ニッサンをV字回復させて賞賛されたゴーンさんも、日本人では決して出来ない情を断ち切り、人を切り、コストを徹底的に削ったのです。社員を家族のように考え大切にしてきたかつての日本の企業の姿はありません(どっちのやりかたにも、それぞれプラスとマイナスがあるから、どっちが良いとは言えません)。やっぱり、われわれ一般人には会社にも期待できなさそうだよね。
 
 それじゃ、公務員がいいや、学校の先生がいいや、って。これも、明らかに短絡的ですよね。どちらも、年々市場が小さくなっています。明らかに縮小しているマーケットに参入する企業はありません。

 与えられるのを待つ生き方か、獲りかたをマスターして自分で獲る人生を送るか、どっちでも良いけど、はっきりと自分の生き方を決めないとね。厳しい時代だけど、やりがいはあるよね。