人生は感動 − 卒業ソング「旅立ちの日に」を聴いて

 どう生きたって一度の人生なのだから、たくさんの感動、たくさんの涙ある人生が素晴らしい。

 中学校の先生が卒業ソングとして創った「旅立ちの日に」がとても人気があって、それが約6割の中学校の卒業式で歌われていること、さらにその歌は秩父市の影森中学校で創られたということを、たまたま今日知ってとても驚きました。20年間にわたる東京での生活から脱出して、豊かな自然あふれる秩父市に移住してきた自分にとって、影森中学校が身近にイメージできたからです。そして、ここにもこんなに素晴らしい先生がいたことを知ってとても感動すると同時に、やる気をもらいました。素晴らしい歌は、多くの人の心を一つにして、なんと感動的なんでしょう。自分はスポーツばかりをやってきたために、歌の素養を磨かずに来てしまい、それを悔やむことがありましたが、今回もまた、しまったって感じです。

 大学教員の教育に対する情熱は、年を重ねれば重ねるほど低下するという調査結果が出されています。以前は、そのことが実感として分かりませんでしたが、大学の教壇に立たせていただいて早12年(正確には途中、海外での研究のために2年間お休みしていますが)、よく分かるようになって来ました。自分にも、だんだんと教えることから手を抜く誘因が強く働くようになってきているのです。

 講義は教える側と教わる側のインターアクションでなりたち、講義の質はそれ次第で、高くも低くもなります。受講生のほとんどが無表情で、質問もほとんど出ず、理解しているのかどうかも分からないような状況では、しばしば「砂漠に水をまいているような錯覚」に襲われ、教えることにむなしさを感じます。加えて、大学教員の評価は、研究成果だけで決まりますので、いきおい教育から手を抜いて研究に力を注ぎがちになります(自分の力の大体60%を研究に、30%を教育に、10%を事務的作業に使うって感じでしょうか)。自分はプロフェッショナルなのだと言い聞かせ、講義前には神経を集中させ、意識を高めて教室に向かいますが、ただの凡人では「今日の講義も失敗だった」と反省することはしばしばです。

 大学の教員は教壇に立ってパフォーマンスを演じるのだと、大学院時代の恩師江夏健一先生から教えてもらってきました。変化の激しい今日にあって、すぐ古くなるような知識を伝えるのではなく、行動力や思考力に欠ける学生が多い中で、彼・彼女らの心を動かすようなパフォーマンスを演じる努力をしようと心を新たにしました。感動させる講義を目指して、砂漠に水をまき続けます。